金泉寺の再建

 

金泉寺再建の決議と建設の経過

最近まで建っていた金泉寺は、昭和44年長崎国体開催を期に建てられたものである。それ以前には明治44年5月建立の棟札がある。

高来町有志の発案で青年団が中心になり資材をすべて背に担いで持ち上げ大変な難事業であった。

この建物が40年経過し、屋根壁は崩落し、貴重な仏像も雨露を直に受け本堂、庫裏とも極限状態であった。かような状態であったので由緒ある古刹を何とかして再建しようと有志の意見がまとまり再建する事を決定した。平成19年5月26日の事であった。

 

荒廃した金泉寺の再建について決議はしたものの、素人ばかりの集まりで何から手をつけていけばよいのか暗中模索の日が長く続いた。金泉寺には檀家が一軒も無く、何より優先すべきは浄財を募る事であった。連日集会して決定したことは募金のこと、設計者、建築業者の選定、総工事費の事、それに山頂まで建築資材を運ぶ手段で、話題は際限なく続く。まず組織作りに着手し「多良岳と(文化財)を守る会」と名づけ再建趣意書を作った。

 

発起人会を組織し思いつくまま遠近の知人、親類縁者に呼びかける。思いがけなく沢山の協力者に恵まれ募金も想像以上に短期間に集まり大変力付けられた。

平成19年9月9日第1回の発起人会を行う。

一番頭を痛めた事は境内まで資材を運ぶ車の通る作業道路の事である。標高850mの高地に通ずる道を何とかして造りたいと思っていたが、市が期を同じくして水源涵養林の管理作業用道路を造られたので金泉寺資材運搬道として利用許可をいただき大いに利用させてもらった。

今思うと20年10月17日の事である。文化財の修復の為、本尊の不動明王、千手観音その他の仏像全部を10数人もの若者があの荒れた登山道の坂道を担いで下山したのであった。車の通る道が無いばかりにとても苦労されたのである。車が境内まで通る様になると建築は急速にはかどった。

以下、千手千眼観音菩薩の開眼法要までの経過を略記する。

平成19年5月26日   金泉寺再建決議(金泉寺別院医王寺)

平成20年10月17日    300年振りにご本尊ほか諸仏像すべて下山する。

平成21年1月25日   小屋入り(田前工務店作業場)

平成21年4月6日   境内まで作業道開通

平成21年4月20日   旧本堂解体 境内の整備

平成21年4月30日   地鎮祭 神仏混合にて執行、出席者約120名

平成21年7月19日   上棟式 神仏混合にて執行、出席者約200名

平成21年10月27日    本尊不動明王の安置 開眼法要

平成21年11月1日   本堂落慶法要(千手観音修復未完成)案内者200人

平成22年9月28日   千手千眼観世音菩薩の開眼法要 参拝者約70人

(本堂西に寺務所(庫裏)完成)

 

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