千手観音

千手観音と金泉寺のゆかり

元禄12年(1699年)9月本明川の大洪水で死者487人を出し、民家・田畑が壊滅し、翌13年には大干ばつで作物は稔らず、諫早領民は二重の災害に遭遇した。

領主茂晴はその対策に大変苦しんだ。茂晴の母堂お糸の方も同様に心痛され、元禄15年支那の商船が長崎に着いたとき千手観音を注文された。翌16年金色に輝く観音様は諫早家に届いた。

自宅に安置するのは勿体無いと思われ死者の冥福を祈り、領民の安泰を願って金泉寺に一宇を建立し千手大士の聖像を祀られ女人参拝の縁にしようと発願された。

千手観音は明時代(1368~1644)末の作と伝えられている。

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